祖母のお通夜に参加したことで、人生の後悔について深く考える機会を得ました。ブロニー・ウェアの『死ぬ瞬間の5つの後悔』を再読しながら、家族との時間や自分自身の幸せを見直す大切さに気づかされました。最後に自分も「幸せだった」と言えるような人生を歩むために、祖母の生き方とこの本から得た教訓を綴ります。
① 他人が望む人生ではなく、自分が本当に望んだ人生を生きればよかった
祖母は、祖父や子ども、孫たちを中心に献身的に生きていました。家族のために尽力しながらも、時折、自分を犠牲にしていなかったか心配していた部分もあります。特にリウマチで手が痛い状態でも、床屋として仕事を続け、家計を支えてくれました。しかし、彼女自身が本当に望んだことや、もっと自分のためにしたかったことがあったのではないかと考えると、少し胸が痛みます。
私は祖母が生きている間に、彼女の本当の希望や夢についてもっと話を聞いてみればよかったと感じました。他人の期待に応えることも大切ですが、自分自身の願望を見つめ、それを追求することも同じくらい重要なのだと、この教訓を通して感じました。
② そんなに一生懸命働かなくてもよかった
祖母はリウマチを患いながらも、床屋としてギリギリまで働き続けました。手の痛みと闘いながらも、お客様や家族のために精一杯の努力をしていた彼女の姿は、私にとって尊敬の対象です。しかし、身体の辛さを感じながらも仕事を続けることが、本当に彼女の幸せだったのかを考えると、やはり心配な部分もあります。
私自身も日々の仕事に追われ、家族との時間が少なくなっていることがあります。このエピソードを機に、家族との時間や自分自身の充実感も大切にし、バランスの取れた生活を送ることの重要性を学びました。
③ 感情をもっと表現すればよかった
祖母は感情を表に出すタイプではなく、どちらかというと強さを見せて家族を安心させる人でした。リウマチの痛みに耐えながらも、決してその弱さを見せることはありませんでしたが、時折、彼女の本当の気持ちを聞いてあげるべきだったのではないかと今では感じます。
入院中の最後の会話で、祖母は「家族が元気に育ってくれて、幸せだった」と私に伝えてくれました。その言葉が、彼女にとっての真実だったのかもしれません。しかし、その言葉を聞いたときに、もっと感謝や愛情を返してあげるべきだったと今になって思います。感情を率直に伝えることの大切さを、この経験を通じて改めて学びました。
④ 友人と連絡を取り続ければよかった
祖母は地域や友人との繋がりを大切にしていたため、お通夜には多くの人が参列してくれました。彼女は忙しい中でも、友人たちとの連絡を大切にし、常に支え合う関係を築いていたことがよく分かります。この点では、祖母は後悔することなく生きられたのではないかと感じます。
私自身も友人との連絡が疎遠になりがちですが、祖母の姿を見て、忙しい生活の中でも友情を大切にすることが、豊かな人生につながるのだと感じました。今後は、私も友人との時間をもっと大切にしていきたいと思います。
⑤ 幸せをもっと追求すればよかった
祖母の最後の言葉、「家族が元気に育ってくれて、幸せだった」という言葉は、彼女の人生に対する満足感を表していると思います。彼女は家族のために多くを捧げましたが、それが彼女にとっての幸せだったのでしょう。彼女が自分自身の幸せをしっかりと追求し、家族とともにそれを感じていたことに、私は安心感を覚えました。
私も日常の中で、忙しさやストレスに追われがちですが、祖母が教えてくれたように、日々の中で小さな幸せを感じ取り、それを大切にしていくことの大切さを再認識しました。
まとめ
祖母のお通夜に参加し、『死ぬ瞬間の5つの後悔』を読み返すことで、自分自身の生き方や家族との時間の過ごし方を見直す大きなきっかけとなりました。祖母が教えてくれたこと、そしてブロニー・ウェアの言葉を通じて、私はこれからも後悔のない生き方を目指し、家族や友人との時間を大切にしていきたいと思います。
おまけトーク
おばあちゃんのお通夜で、生き方を考えるきっかけになったよ。
家族との時間や自分の幸せをもっと大事にして、最後には自分も「幸せだった」って言える人生を歩んでいきたいなって思ってるんだ。
んじゃ、またねー!
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